若い頃、誰かが間違ったことを言っていると、つい口をはさみたくなった。
「それ、違うよ」って言わずにはいられなかった。
間違いを正すのが正義だと思っていたからだ。
でもね、ある時ふと気づいたんです。
正しいことを言ってるはずなのに、なぜか場が凍る。
言い負かしたのに、どこか後味が悪い。
あれ、なんでだろうって。
それってたぶん、ちょっと大人になったサインだったんですよね。
最近は、運転していて誰かが無理な割り込みをしてきても、「急いでるのかな」と流せるようになった。
明らかに間違ってる話をしてる人にも、「でも、楽しそうだな」と微笑ましく思えるようになった。
我慢してるわけでも、あきらめてるわけでもない。
“いちいち戦わなくてもいい”って、やっとわかってきたというか。
自分の中にある「正しさ」って、意外と変わっていくものです。
10年前の自分が信じていたことを、今の自分が笑ってることもある。
だから、全部を正そうとしなくてもいいのかもしれないですね。
もちろん、自分が大切にしている価値観をしまい込む必要はない。
でも、これを今伝える必要があるのか、一呼吸おいてみる。
それだけで、日々の摩擦がずいぶん減って、過ごしやすくなる気がします。
僕自身、昔は「会社のために生きる」のが当たり前だった時代があります。
それ以外の選択肢なんて考えたこともなかったけど、ある時、心がぷつんと切れました。
当時は『会社にとって正しいことをしよう』と気を張っていました。
それが、人件費率20%、純利益50%出せと言われて、それが社会の常識、正しいものだと勘違いしていました。
うつになって転職して、ちゃんとした会社に入って、正しい運営・経営を知って思いました。
「あの会社は何も正しくなく、異常だったんだ」と。
結果として、今は少しだけ、余白のある暮らしができるようになってきました。
正しさを手放してみると、案外、気持ちがラクになります。
それは、年齢を重ねてようやくたどり着いた、
ちょっと上等な「生き方のコツ」なのかもしれません。

