最近はオーディブルで、ひふみ投信の藤野さんの『14歳の自分に伝えたい「お金の話」』を聴いていた。
その中で改めて考えさせられたのが、「自助・共助・公助」という言葉だった。
- 自分を助ける「自助」
- 人と助け合う「共助」
- 行政に頼る「公助」
自分で自分を助ける「自助」、人と人とが助け合う「共助」、そして行政や社会の仕組みによって支える「公助」。
どれも聞き慣れた言葉だし、以前の自分なら「まあ、そうだよね」くらいで通り過ぎていたと思う。
けれど、今はこの言葉が妙に引っかかる。
「“助けてもらって当たり前”という感覚では、いずれ立ち行かなくなる。」
なぜなら人生を振り返ったとき、自分は長い間、誰かに助けてもらうことで生きてきた人間だったからだ。
人は一人では生きられない。でも、いつまでも助けられる側でもいられない
大学の学費を払ってくれたのは親だった。
社会人になってブラック企業で体調を崩し、転職を繰り返していた時期にも、何度となく親に助けてもらった。
そして35歳で心身の調子を崩して仕事を辞めたときには、家賃を払い続けることさえ難しくなり、結婚して家庭を持っていたにもかかわらず、実家の二世帯住宅に身を寄せた。
振り返れば、ずっと誰かが自分の下に手を差し出してくれていた。
もちろん感謝はしていた。
一方で、心のどこかに「家族なんだから助けてくれるだろう」という甘えがあったことも否定できない。
人は困ったとき、誰かを頼っていい。
むしろ、本当に苦しいときまで「自助だから」と一人で抱え込む必要などないと思っている。
ただ、助けてもらうことと、助けてもらうことを前提に生きることは違う。
この違いに、自分はなかなか気づけなかった。
そんな自分に妻が言ったことがある。
「あなたが立たないと、家族は崩れるよ。」
当時の自分には厳しい言葉だったと聞こえたけど、自分に必要だった言葉でもあった。
誰かが自分を立たせてくれるのを待つのではなく、自分の足で立たなければならない。
あの時からが、「自助」が始まった瞬間だったのかもしれない。
「自分で立つ」と決めても、やることは驚くほど地味だった
そこから何か劇的なことが起こったわけではない。
家計を見直して、いらないものを削った。
・毎月の支出を徹底的に見直し節約生活
・ポイ活で家計の足しになる工夫
・副業で少しでも収入を増やす努力
・少額投資を始め自分の未来に“種まき”
人生を変えるというと、転職して年収1000万円になったとか、起業して成功したとか、そんな分かりやすい物語を想像するが、自分にはそんなものはなかった。
数百円を節約し、数千円を稼ぎ、余った数万円を投資する。
そんな地味なことを、ただ繰り返した。
ところが人生というものは不思議で、その地味な積み重ねが何年も続くと、立っている場所そのものが変わってくる。
最初は誰かに支えてもらわなければ立てなかった人間が、いつの間にか自分の足で立てるようになり、さらに少しだけ余裕が生まれてくる。
資産形成とは、お金を増やす行為であると同時に、自分の人生を自分で引き受けられる範囲を広げていく行為でもあったのだと思う。
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自助の先に、もう一度「共助」があった
投資を始めた頃は、完全に自分のためだった。
老後が怖いし、また仕事を失ったら怖いし、家族を守れなくなるのが怖い、だからお金を貯めた。
つまり、自助そのものだった。
ところが資産が増え、自分の生活を守る余裕が少しずつ生まれると、お金を見る角度も変わってきた。
株式を持つということは、企業の一部を持つことでもあり、企業はその資本を使って事業を続け、人を雇い、商品やサービスを生み出し、その利益の一部が株主にも還元される。
もちろん投資は慈善活動ではないし、利益を求めて行うものだ。
それでも、自分のお金が社会のどこかへ流れ、そこで誰かの仕事や挑戦とつながり、その結果として生まれた利益がまた自分のところへ戻ってくる。
そう考えると、自助と共助は完全に別々のものではないのかもしれない。
自分で立てるようになったからこそ、今度は誰かを支える側にも回れることこそが、自助の先にあるものなのだと思う。
強さとは、誰にも頼らないことではない
昔の自分は「自立」という言葉を、誰にも頼らず一人で生きることだと思っていた。
今は違う。
人生では、どうしても自分だけでは立てない時期があったことに気づけた。
家族を頼ってもいい。友人を頼ってもいい。社会保障を使ってもいい、自分自身、そうやって助けてもらったから今があるからこそ、共助も公助も必要だ。
ただ、助けてもらえる状態に居続けることと、助けてもらった力を使ってもう一度立とうとすることには、大きな違いがある。
自分は長い間、助けられる側にいた。
そこから少しずつ自分の足で立ち、お金を貯め、投資を続け、ようやく自分だけではなく家族のことまで考えられる余裕が生まれてきた。
そして、これから先は、自分が受け取ってきたものを少しずつ次へ返していく年代なのだと思う。
人は一人では生きられない。
でも、一人では生きられないからこそ、自分で立てるときには立っていたい。
そうすれば、本当に誰かの力が必要になったときには素直に手を借りられるし、誰かが倒れそうになったときには、今度はこちらから手を差し出せる。
助けられる側から、助ける側へ。
そしていつかまた、自分が助けられる側に戻る日も来る。
人生とは、そんなふうに自助と共助と公助の間を行き来しながら、誰かから受け取ったものを次の誰かへ渡していくことなのかもしれない。

