2度目の管理職挑戦中ですが、やっぱり慣れませんね。
一昨日の面談で、また1人、退職を希望する職員が出ました。
7月だけで2名。今年度に入ってから数えると、これで5名になります。
さすがにこの数字を目の前にすると、管理職である私も何も感じないわけではありません。
「自分のマネジメントにも何か問題があるのではないか」「もっとできることがあったのではないか」と考えますし、管理職として責任があることも理解しています。
しかし、今回も案の定、社長に呼び出されました。
「これだけ退職者が多いのは、管理者の責任だ」
そう叱責されました。
ただ、今回退職した人の中には、社長自身が深く関わっていた人もいます。
それでも最終的には、管理者である私にも責任があるという流れになりました。
その場に同席していた上司も、いつの間にか私を追及する側に回っていました。
最後には、「明日、君からオーナーに電話をして謝罪するように」と言われる始末。
ここまで来ると、私の中には怒りよりも、「また、このパターンか」という気持ちが湧いてきました。
1年前、私は「責任追及思考」について書いていた
実は1年ほど前、私はこのブログで「責任追及思考と問題解決思考」について書いています。
犬飼ターボさんの作品『TREASURE』を聴いていたときに知った考え方で、当時の自分が置かれていた状況とあまりにも重なり、強く印象に残ったものでした。
責任追及思考とは、問題が起きたときに「誰が悪いのか」を探し、その問題を一人の責任として考えること。
一方の問題解決思考は、「なぜ、この問題が起きたのか」「どうすれば同じ問題を繰り返さずに済むのか」を、組織全体の問題として考えていくことです。
当時の私は、自分の会社は「責任追及思考100%の会社だ」と書いていました。
あれから1年以上が経ちましたが、今回の出来事を見る限り、組織は1mmも変わっていませんでした。
5名もの退職者が出ているのであれば、本来考えるべきなのは「誰の責任なのか」だけではなく、「なぜ、これほど人が辞めるのか」でしょうに。
採用に問題があるのかもしれない。職場環境かもしれないし、待遇や人間関係かもしれない。もちろん、私のマネジメントにも改善すべき部分があるかもしれません。
それらを一つずつ検証して初めて、次の退職を防ぐための方法が見えてくるはずです。
しかし、今回も最初に始まったのは「誰が悪いのか」という話でした。
残念ですよね。
「責任感が足りない」という言葉で気づいたこと
今回、社長から言われた言葉の中で、一番印象に残ったものがあります。
「君は責任感が足りない」という言葉です。
以前の私だったら、この言葉を真正面から受け止めていたと思います。
「自分は管理職として失格なのではないか」「もっと頑張らなければいけない」「自分が何とかしなければいけない」
そう考え、会社から求められた責任以上のものまで、自分から背負いにいっていたかもしれません。
でも今回は、不思議とそうは思いませんでした。
むしろ、「ああ、自分はちゃんと会社との距離を取れるようになったんだな」と感じたのです。
この1年間、私が意識してきたことがあります。
それは、会社で起きるすべての問題を自分の責任として抱え込まないことです。
自分がやるべきことはやる。
しかし、自分ではコントロールできない問題や、本来は組織全体で考えるべき問題まで、一人で背負わない。
「自分の責任」と「会社の責任」の間に、きちんと境界線を引く。
以前の私はそれができませんでした、それでうつになり仕事を辞めた。
だからこそ、「責任感が足りない」と言われた今回、皮肉にも「この1年間、自分が目指してきたことは少し実践できていたのかもしれない」と思えたのです。
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ただし「責任感を見せる技術」は足りなかった
一方で、自分にも足りなかった部分があると思っています。
それは、「責任を背負わないこと」と「責任感を見せないこと」は、まったく別の話だということです。
会社で起きた問題をすべて自分の責任として背負う必要はないというマインドになれた。
でも、管理職である以上、「私はこの問題を重要なことだと認識しています」「自分のマネジメントにも改善できるところがないか検証します」「同じことが起きないために、次はこう動きます」という姿勢を、周囲に伝える必要はあった。
私は、「責任感を可視化する」という技術が足りなかったといえます。
自分の中では問題について考えているし、必要な対応もしている。
しかし、経営層から見えなければ、「責任を感じていない」と受け取られてしまう可能性もある。
だから、すべてを背負う必要はないけれど、向き合っている姿勢は見せる。
このバランスについては、まだまだ自分も未熟でした。
「責任感が足りない」をリフレーミングしてみる
以前本で読んだことありますが、「リフレーミング」という考え方でうまく立ち回れるようにならないかな、と考えてます。
リフレーミングとは、起きた出来事そのものを変えるのではなく、その出来事を見る枠組み、つまり「フレーム」を変えて捉え直すこと。
例えば、「責任感が足りない」と言われたとき、その言葉をそのまま受け取れば、「自分は責任感のない管理職」という自己否定になります。
しかし、「経営層から見ると、自分が問題に向き合っている姿勢が見えていなかったのかもしれない」と捉え直せば、「責任感のない管理職」という否定からは脱することができます。
「退職者が多いのは管理者の責任だ」という言葉も、「管理者として、この問題について何らかの対応を示してほしいのだな」と翻訳すればいい。
もちろん、何でも都合よくポジティブに考えればいいという話ではありません。
自分に改善すべきところがあれば改善する。
しかし、相手から投げられた強い言葉を、そのまま自分の人格評価として受け取らない。
一度、自分の中で意味を捉え直してみる。
それだけでも、仕事で受けるダメージはずいぶん違うのではないでしょうか。
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心の中に「翻訳機」を持っておく
以前の私は、上司や経営層から言われた言葉を、真正面から受け止めていました。
「君の責任だ」と言われれば、「自分の責任なんだ」と思う。
「もっと頑張れ」と言われれば、「まだ頑張りが足りないんだ」と思う。
そうやって、相手から投げられた言葉を一つひとつ自分の中に入れ、そのたびに自分を追い込んでいました。
でも、これからは心の中に一台の「翻訳機」を持っておきたいと思います。
強い言葉を投げかけられても、すぐに自分の中へ入れない。
これは本当にすべて自分の責任なのか。
事実と相手の感情はどこまでなのか。
自分が引き受けるべき部分はどこなのか。
そして、この言葉を「次に何をするか」に翻訳すると、どんな行動になるのか。
一度、そんな翻訳機を通してから、必要な部分だけを受け取る。
「責任感が足りない」と言われたら、「責任をもっと背負え」ではなく、「自分の取り組みを相手に見える形にしよう」と翻訳する。
そう考えられれば、自分を守りながら、管理職として成長することもできるような気がしています。
組織は変わらなかった。でも、自分は変わっていた
会社の「責任追及思考」は、残念ながらあまり変わっていませんでした。
まぁ、変わることもないのだと思います。
でも今回、「責任感が足りない」と言われたことで、逆に気づきもあった。
自分の責任と会社の責任を、少しずつ切り分けられるようにもなりました。
管理職として責任は必要以上に背負い込まないけど、責任感はきちんと見せる。
相手の強い言葉を真正面から受け止めない。でも、必要な指摘まで無視するわけではない。
一度、自分の中でリフレーミングして、これからの自分に必要な部分だけを受け取る。
会社という大きな組織を、自分一人の力で変えることは難しいのかもしれません。
それでも、その組織の中で働く自分の考え方や、言葉の受け取り方、会社との距離の取り方は変えることができます。
40代管理職。
責任を背負うことだけが、責任感ではないですから。

