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ウチの夫は仕事ができなくなった。嫁子供もいるのに会社を辞めた理由


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35歳にして転職を経験したソラマメです。転職をして3ヶ月となりますが、ようやく仕事にも慣れてきました。

そもそも数ヶ月前、自分がこんなにも仕事で心が折れ、仕事を辞めることになり、転職していまの職場にいるなんて想像もしていなかったです。

それだけ辞めようと決意した数ヶ月は壮絶な期間でした。当然すぐに気持ちを切り替えることもできず、退職をして3ヶ月が経ちようやく気持ち的にも落ち着いてきました。

なので、私がなぜそれまで順調だった仕事を辞めることになったのかリアルガチでこの8年間振り返りました。

すると、仕事を辞める決意をしたのはたった数ヶ月の気持ちの変化だと思っていましたが、この8年間を振り返るとそれだけではないことに気がつきました。

そこには30代なら必ず誰もが考え迷う、仕事との関わり方、人生の歩み方があったのです。

独身時代はやりたいことをやり続けることができた

私は前職を約8年間続けました、仕事内容は私立高校の職員で主に生徒募集を行ってきました。

入社した当初は生徒も少なく小さいなりにこじんまりとして楽しく仕事をしていました。周りの先輩社員ともとてもよい関係でした。

上司は私のことをとても可愛がってくれ、何かあれば自分の好きなように仕事を任せてくれました。

元々自分が広告関係の仕事をしていたこともあり、広報については責任を与えてもらえたので、私としても仕事がやりやすかったです。

学校の仕事とかいうと落ち着いているとか休みがたくさんとか思われる方もいますが、私立の学校はやはり生徒募集が絶対です。

そのために学校をPRするために訪問をしなくてはいけませんし、土日は体験入学や説明会に参加しなくてはいけません。学校の体質にもよりますが結構忙しい業界でした。

私が入社したとき周りには先輩職員が6人いたのですが、同年代が3名、40代が2名と多く上司も2つ上でした。ちなみに私は当時27歳でした。

40代の先輩は一人がバツ1、一人は単身赴任で他は独身だったのでノリが良く、月に1度は飲みにいっていました。仕事もどれだけ残業していても心配や不安になるようなこともありませんでした。

それはそれで楽しいんですよね、なんかファミリーみたいな感じがして。皆が同じ方向を向いて言い合ったり支え合ったりして。だからこそずっと仕事をしていても苦とは思いませんでした。

それでも仕事が楽しいと思えた頃はこの頃が一番でしたので、仕事が遅くなっても苦痛に感じることは少なかったです。

遅くまで残っても周りも同じで、その中で新しいアイデアが出たり改善策がぽっと生まれたりして、またそれをやらせてくれるフットワークの軽い上司だったのでよりやり易さがありました。

世の中は少子高齢化なので生徒数を確保するのも苦労するなかで、私だけの結果だけではありませんが生徒数はこの8年間で2倍なりました。

学校業という狭い世界の中ではちょっとしたウワサになるくらい、学校も私も成長した8年間でした。

そんなイケイケ成長企業体質かつ職場環境も良好な環境なので、この仕事を本気で辞めたいなんて思ったことはなかったし、まさか本当に辞める未来を想像はできなかったです。 

結婚して残業への考え方が変わった

そんな順調な仕事環境に少し変化が訪れたのが結婚をしてからでした。

仕事自体も順調に成長をしてきて3年が経った頃に私は結婚をしました。これまで独身だった身がガラッと生活環境が変わりました。

それまではムダに残っていたことも家に帰れば家に帰ってからの家事手伝いもありましたし、やはり嫁さんも早く帰ってきてほしいと願っていました。嫁さんもその頃は働いていたので家事は分担していました。

これまで実家暮らしだった自分は家事をしたことがほとんどなかったので、家事をこなすことが苦痛でしたね、当時は。

平日の休みがあったとしても、掃除して洗濯して、ご飯なんて作っていた日には半日以上が終了し、嫁さんを車で迎えに行こうものなら、その時点で1日終了です。

これではいかん…。休みの日はゆっくりしたい。そう思ったら仕事への考えが変わりました。とにかく残業なんて無駄なことをするのは止めて仕事を早く終わらせ夜にできる家事は終わらせてしまおう。

そういう考えになった私は、他の独身の同僚たちとの誘いを断るようになり、特に平日休みの前日は勝手にノー残業デーを作り早く帰るようになりました。次の日にやらなくてはいけない家事を済ますためです。

それでも月の残業時間は平均しても40時間ほどはありました。残業代金はみなし残業代として払われていましたので40時間を過ぎても支給は一切ありませんでした。

なので早く帰っても問題はないのですがそれでもやることは多く、残業についての考え方を変えてこの残業時間なのですから、他の会社からすれば多い方でしょう。 

子供が産まれて働き方が変わった

働き方について本気で考えるようになったのは結婚して3年目、子供が産まれてからです。

結婚してたしかに残業についての考え方は変わりましたが働くことについても疑問を持つようになりました。

私のいた学校ではまだまだ古い体質があり、『遅くまで残っている=仕事を頑張っている』という絶対的な評価がありました。

企業よりも独特な学校という体質だったので、そういった評価がもろにボーナスに出たりする学校でしたので私も残ってやるしかないという無駄な仕事をしていました。

ところが子供が産まれれば家でもやることは多くなります。お風呂を入れたり、寝かしつけたり、母親一人では子育てする体力もなく私も嫁さんを支えたいと思うようになりました。

そうなれば仕事に対しての価値観は当然のように変わるもので、残業をすることはもちろんのこととにかく仕事をスマートにこなそうと頭が働くようになりました。

仕事を途中で投げ出すわけではなく、どうしたらこの仕事を定時までに終わらせることができるのかと考えるようになりました。

そのための準備を出勤前にスマホでできることをしたり、仕事から帰って嫁さんや子供が寝てから事務作業を自宅でするようになりました。

仕事場にいることが仕事をしているわけでなく、どこでも仕事はできるしその準備さえしておけば残業だって休日出勤だってしなくて済むのではないかと考えるようになりました。

事務所にいるだけが仕事ではないという気持ちでこの頃は仕事に取り組んでいました。同じくして結婚した同僚もいたので、お互いに働き方の変化を二人とも感じていましたが同じような考え方だったので事務所にいないときにも頭では仕事を働かせて事務所にいる間に集中してパフォーマンスすることを心がけていました。

そう考えてからは残業時間も休日出勤も減らし、無駄なことをすることをやめました。

昇格で中間管理職になったことで悪循環になった

休日出勤や残業をしなくなった私ですがひょんなことで昇格人事がやってきました。

私がいた学校は転勤があるのですが、その大きな人事に巻き込まれるような形で、私の上司が転勤となりその空いたポストに私が選ばれ、いきなり中間管理職になりました。

これがすべての悪循環のはじまりでした。

管理職になれば役職手当がつくようになりますが、その分役割が増えます。私のいた学校では管理職に対する理事長の圧力が半端なくあったので、これまで数年取り組んできた残業当たり前、休日出勤当たり前の環境になってしまいました。

そのこともわかった上で昇格することを受けたのですが、思っていた以上にその当たりが厳しかったです。

毎月のように会議があるのですが理事長からは「帰るのが早い」「他の責任者はもっとやっている」と比較されるようになりました。

特に比較された他の責任者は土日も働き、平日も遅くまで残っており残業時間は月に100時間を越えていました。

理事長からすればその責任者と私を競わせたかったのでしょうが、相手は単身赴任で家庭も崩壊ぎみでもう仕事しかないという状況。

私にはもちろん家庭も子供もいるのでそんな風にはなりたくなかったですが、そこに合わせていかなければ評価が下がってしまうのが目に見えていたのでがむしゃらに働きました。

気がつけば月に数回休むことができればラッキー、残業は100時間を越えることもあり、仕事以外のことを考える時間がなくなりました。

家族と話ができるのも休みの日の少しだけとか、朝はほとんど会話の時間をとることができませんでしたし、夜は深夜になることもあったので子供と嫁さんは寝ていました。

当然残っていることだけが評価というわけではなく、生徒募集の状況や予算管理も任されていましたがどちらも思うようにいかず苦しい時期か続きました。

生徒募集にも広報するための宣伝費用が必要です。限られた予算の中で考えてもお金がない。そうなれば自らが出てやるしかないという気持ちになってしまいました。

例えばチラシのデザインも広告会社に発注するのをやめて自分で作るようになりました。その配布先も自らが回って届けるようになりました。

時間もお金も関係なくどうにか予算を抑えること、生徒募集をしなくてはいけないと自分だけが走ってしまっているような状況でした。

この一年間で仕事がすべての一番の優先順位になっていました。休みがあっても仕事のこと、時間があったら仕事のこと、寝ていても仕事の夢を見ていました。

この頃からもうサインは出ていたのだと思います。体から、心から、どこからともない悲鳴が出ていたのを仕事というものに支配されていました。

社員に恵まれなかった

転勤された前の上司とはよく連絡を取り合いとにかく励まされたのを覚えています。でも実際には自分のいる部署、部下たちとの関係が作れなかったのも原因のひとつです。

というのも、これまで並列だった関係性が急に責任者になることでのハレーションはもちろんありました。なぜあいつが責任者になったんだ、という同僚もいたのも事実です。

そうなると物事がスムーズに進みません。去年まで簡単に進むことができたことですら反感をかったりスピード感が遅かったりします。

そういった人間関係の構築には数ヶ月かかりましたが、一番厳しかったのは新入社員の退職でした。

私が責任者になり新たに2名の採用をしました。一人はすぐ離職をするような子で不安はあったのですが理事長の薦めで採用。もう一人は新しい器を迎えるに当たり全く応募がないところに来た人で半ば数あわせのために取ったようなものでした。

それが3ヶ月で二人とも辞めていきました。一人はおばあちゃんの介護で福岡にいきますという理由で向こうに住むのかと思いきや週末行くくらいだったという、結局辞め癖の抜けないタイプだったのですが、もう一人が最悪でした。

 突然呼び出されてあと一ヶ月で辞めたいと申し出がありました。理由を聞くと親父さんが仕事で失敗をして家に戻らないといけない。

30歳の男がそんな理由言うか…と思いながら理事長とも話して辞めることを了解してもらいました。

学校なので期の途中で担任がやめるなんてあり得ないことなので生徒に説明する時間を設けました。

すると彼からは先生らしいもっともなことばかりをペラペラと話し出し始めました。辞めても先生だからとか言われたので、辞めてから生徒と関係をつくってもらうことはNGだったので、その後生徒との関わりをもたせないような仕事をさせるように学校側の判断のもと彼への対応を行いました。

それが気に入らなかったのか退職後もひどく因縁をつけてくることがあり、深夜にいたずら電話がかかってきたり、罵声をあびせられるなど本当にひどい目に合いました。世の中そんな非常識な人間がいるのだと35年ではじめて人を信用することができなくなった時期でした。

上司が代わり信頼ができなくなった

そんなときに便りになるのが上司です。しかし、私の以前の上司は転勤の上私も同じ立場になってしまったので話はできても実際にはさらに上の本部長が相談相手になりました。

その本部長は理事長絶対のもと、現場のことはまったく考えてくれない存在でした。

何度か相談したのですが現場でなんとかしろ、そんな奴に構ってないで仕事ちゃんとしなさい、と取り繕ってもらえませんでした。

しっかり話を聞いてくれたのなら、相談できる環境であったら仕事をやめる決断はなかったのかもしれません。

でも本部長にもたくさんのやるべき仕事があったのでしょう。自分の仕事で必死だったのではないかと思います。

もともと私のいた学校では社員が非常に少ないと学校業でもちょっとした有名な学校でした。当然一人に与えられた仕事量は多く、管理職はそれ以上に多く、さらにそのうえはもっと多い状況でした。

とうぜん他の人をフォローしてあげる環境はありません。なんせ余裕がないのですから。私の悲痛な叫びは上に届くことはありませんでした。もしくは届いていたのかもしれませんが、フォローされるのとはありませんでした。

そういう余裕のない体質がその学校にあったので今では後悔していませんがその当時はとても苦しかったです。

部下には相談できない、上司には相談しても解決してくれない、管理職は板挟みとよく聞きますが本当にその通りでした。

生きる元気が失われていった

そんな退職者の対応に終われながらも仕事はやらなくてはいけない現実がありました。

誰にも相談できない、毎日やるべきことは多くなる、そんな状況が続いていった年末ごろ、とうとう自分が何をやっているのかわからなくなってきてしまいました。

朝起きて仕事に行く、その起きた瞬間から仕事モードになっていて、朝御飯の家族の会話も頭に入ってこず、仕事場にいけばやるべきことが降ってきて、それが終わっても次のことを考えていかないと追いつかない。

もちろん帰りの電車でも帰ってからも仕事が頭から離れるのとは全くなくなり夢にまで仕事のことが出てくるようになりました。

そんな中、年が明けた1月頃からは生徒募集の結果も芳しくない状況に陥りました。予算もないまま生徒募集にかけられるお金も人員もなくただひとり朝早く仕事に行き、夜は終電まで考え、そんな生活を毎日のようにする生活が続きました。すると、生きていくことに対する気力が失われていったような感覚になりました。

その頃に嫁さんとこれからの人生について本気で考えるようになりました。

もちろん最初は嫁さんはいまの仕事を続けていってほしいという希望を言われました。まず辞めてどうするんだと。

35妻でつかんだ昇格人事ということもあるし、何よりも次の仕事がなければお金がなくなって食べていけなくなる。子供だってまだ小さいのにどうするんだ、と。

今思えば全うな意見ですが当時の私には全く響きませんでした。とにかく今の状況から解放されたい、その一心でしかなったからです。

そんな話し合いが1月下旬から少しずつするようになり、毎日のように言い合いになりました。

会社でも思うようにいかない、言えても思うようにいかない、そんな毎日に自分自身が疲弊してしまいました。ただいま思えば嫁さんの方がよっぽど疲弊していたに違いありません。

「もういいよ…辞めよう」と言われ決意した

2月の上旬になってからです。何度か嫁さんと話をしたある夜、この日も同じような話をしていました。

仕事をもうやめたいと訴える私、やめないでほしい、やめてどうするんだと引き留める嫁さん。

何度か話をしていてお互いが平行線のまま話が終わったあと、私の頭の中はもう混乱も通り越え、このまま仕事を続けていく意味がわからなりました。

話を終えた私は無意識ですが車に乗り込んでコンビニまで向かったのを覚えています。おもむろに駐車場に止め、真っ暗な車中でこれからどうしたらよいのかを考えることもなく、ただただ目の前やその先に光が見えない不安や恐怖に怯えていました。

すると、嫁さんから電話がかかってきました。

嫁さんは泣きながら私にいってくれました。「もういいよ…辞めよう。このまま働いていてもあなたの笑顔が見られない。お金は私も働けばなんとかなるから、もう、辞めよう」

私も家族を巻き込んでしまっていること、でもどうにもならない状況に申し訳ない気持ちで一杯でしたが、これ以上続けることはできない気持ちがずっとあったので、この一言で救われた気持ちになり、仕事をやめる決意をしました。

部下やスタッフに説明するもすべては理事長の考えられた言葉

もう辞めようと嫁さんに言われて決意しましたが、学校の期のことを考えても3月に退職しなくてはいけないと考え理事長に退職の意があることを伝えました。

理事長は私が辞めることをとても驚いていました。いまでも鮮明に覚えています。

管理職になってすぐ辞めるなんて聞いたことのない話だ。一体どういう気持ちで管理職になる人事を受け入れたのか。考えが甘いのではないか。

2名の退職者を出しておきながらさらに君が辞めるなんて、残っている部下や学校にいる生徒をおいて今の状況から逃げるのか。

予算だって与えているし、生徒募集でそんなにも追い詰めたことはない。自分で自分を追い込んで学校はなにも悪くない。

管理職が辛いのであれば管理職を降りて一兵卒からやり直せないのか。今思えば傷つくようなことなど様々なことを言われました。

言いたいことはたくさんありました。予算だって最初から無理のある予算を組まされていたことを前の上司から聞いていました。

生徒募集に関しても他の管理者よりも明らかに私に対する詰めがきびしかったこと。

理事長の中で私が管理職になることを当初から不安視していたため、次の管理職候補を見つけていて数年後には降格人事が下される可能性が高かったということ。

それもすべては私の力不足だった、すべて私が未熟たった、そう言わされたような話し合いになりました。

もう辞めれればどんな形でもいいと思っていたのですべてを受け入れ退職することが決まりました。

理事長からすれば辞めることの現場への影響のことしか考えていなかったでしょう。

一番苦しかったのは、辞めることが決まり現場への報告の言葉はすべて理事長が考えた言葉を言わされたことです。

まず自分が辞めることになったのは学校の忙しさや大変さではなく、自分の力が及ばなかったこと。自分が辞めることで現場を混乱させて申し訳なくすべての責任は自分にあること。

すべて台本があるかのように発言することは計画されそのまま言うようにと指示されました。

私の言葉、本心はどこにもなく現場に伝えられました。これも学校を存続することだとは思いましたが、これまで頑張って学校のために働いてきた何かが崩れ落ちました。

現場の部下たちからはいろいろなリアクションがありました。こんなに苦しい状況なのに逃げるのか、といった声もあれば、呆れてものが言えまませんと答えた部下もいました。

唯一私が入社したときから同期でいてくれた人は私のこれまでやってきたことや辛かったことを理解してくれていました。

心の健康が一番だから、辞めて正解だよ。と言われてすごく私の心は救われました。

最後に


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というわけで私が8年間積み上げたものがたった3ヶ月で崩壊し、退職することになりました。

こうして冷静に振りかえると仕事への考え方が変わったことでこの仕事でいいのかと深く考えるようになったのもありますが、一番は過酷な状況を乗り越えることができなかった結果が退職に陥ったのだと思います。

あの状況を越えられる術はあったはずです。仕事ばかりのことを考えるのではなく、いろんな人と関わっていれば変わっていたに違いありません。

休みをとってリフレッシュしていれば、仕事をもう一度頑張ろうと思う気持ちになってたに違いありません。

相談できる環境があれば乗り越えられるアドバイスをもらえたに違いありません。

そのすべてがなかった、できなかったのは、私の力だけでなく職場環境に問題があったに違いありません。

そのすべてが重なり、必然的に私が仕事ができない人間になりました。

その傷は転職し3ヶ月ほどが経った今でも、すぐに癒えるようなものではなく、ふと甦ったりふと考え込んだりします。それだけ大きな決断をしたといま実感しています。

人間は強くない、そう感じた数ヶ月でした。

誰にでもある仕事の悩み。少しでも同じ境遇にの方がいるのであれば、同じ道にならないようにそれぞれのポイントで改善することをオススメします。それでも改善できないのであれば、退職して次の道にいくべきです。

それほどいまの仕事を辞めたいという気持ちが強ければ次の仕事を見つける力もついてきますから。